野上日記

終わらない夢

こんにちは、Y館長です。
 
ここ藤飯治平記念館では、館内BGM替わりに、N◯K―FM放送を小さなラジカセで流しつつ業務に邁進(?!)しています。
 
公共放送ですから、Yの如き感性貧しき(?)聴き手の趣味に左右されることなく、放送される音楽のジャンルは多岐にわたると同時にリスナーの多様な要望に答えられるよう工夫を凝らした番組プログラミングがなされているように思えます。
 
一週間をサイクルにそれぞれ特色のある番組が流れるわけですが、毎日、聴くともなく耳にしていると、そのうち、聞こえてくる音楽のジャンル或いは担当するDJの声で、曜日や時間や、果てはYの体調・血圧の高低まで(ウソですヨ!)感じ取るようになってきます・・・
 
そんな番組のひとつを担当するDJの面々・・・・
 
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そう、言わずと知れた老舗(?)ロック・フォークバンドの「THE ALFEE」!
 
毎水曜日の朝10時、ちょうど藤飯治平記念館の開館時間から60分間、DJを担当しています。
 
それにしても、かくいうYも世代的には彼らと大して違わないのですが、いやぁ、THE ALFEEに限らずアーティストやエンタテイナーと呼ばれる人たちは元気ですね~
 
ちなみに音楽方面だけでも、そうですね、吉田拓郎、井上陽水、沢田研二(含む、タイガース)、中島みゆき、桑田佳祐と挙げれば切りがないのですが、それぞれ「懐かしの・・・」といった形容詞が不要な、つまりいまこのときにあって、自分の属する世代ばかりではなく、後に続く若い、それも数世代も若いひとたちにも支持される、或いは影響を与え続けているアーティストたち・・・そういう意味での「元気」であるわけですが・・・
もっとも、一方には大滝詠一や忌野清志郎のように惜しまれて早逝した同世代のひとたちもいることを忘れているわけではありません。
 
ともあれ、THE ALFEEもそんな「元気な」アーティストの一隅を占めていると思うのですが、じつはYには、これまで彼らと聴き手として関わることはありませんでした。つまり、Yから能動的に彼らの音楽に向かったこと、レコード・CDを購うとかコンサートに足を運ぶとか、テレビ欄で名前を見つけてチャンネルを合わせるとかはまったくありません。テレビの音楽チャート番組でたまたま見た、カーラジオでたまたま聴いた、まぁ、そんな程度・・・
 
ただ、メンバーのひとりである坂崎幸之助は、そのソロ的な活動(フォークルの再結成であるとか、TV番組の司会やキャスター)を通じて馴染みがありました。とにかく、このひと、凄いですよね。狭義でフォークと呼ばれる音楽の、その洋の東西を問わず、まさに生き字引!曲名を云えばたちどころに、オリジナルキーでギターを弾き歌い始めてる・・・
 
こんな、まさにヴァーチュオーゾと呼べるようなひと、Yはほかには横森良造さん(!)しか思い浮かびません・・・
 
さてそんな、Yとは特段深い縁があるわけでもないTHE ALFEEが、なんでいま「野上の」話題にと、不思議に思われている貴方・・・ほら、あなたですよ!お待たせしました・・・じゃぁーん
 
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場所がなかったのでとりあえず記念館和室のふすまに貼られたB0サイズ(横145センチ縦103センチ)の大判ポスターですが、1990年にリリースされた彼らのCDアルバム「ARCADIA」の販促用と思しきもの。
 
これが何故、藤飯治平記念館に?
 
ポスターの絵柄を見ていただければ一目瞭然ですね、そう、これ、藤飯治平先生の作品、バベルの塔であります。
 
発売されたCDジャケットはこちら・・
 
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彼らのアルバムのなかでも、相当に気合いを入れて制作されたものであるようで、ジャケット、スリーブ、歌詞カード(冊子)も丁寧贅沢に創らています。
 
ジャケットのクレジット欄にはしっかりと、先生の名前が・・・
 
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一年前、記念館を引き受けた際、巻かれたままのこのポスターをアトリエの隅に見つけていましたがそのままになっていたものを、ラジオで彼らと出会うことで改めて思い出し、このたび、「Y、はじめてTHE ALFEEのCDを買う」に至ったというわけでありました。
 
CDの中身はYがあれこれ云うより、こちらでご覧ください。
 
藤飯治平先生の作品が、このCDのジャケットを飾ることになった、その由来にはおおいに興味を惹かれています。
 
このCDはエスニックを主題としたコンセプト・アルバムだそうですが、どんな経緯で彼らと藤飯治平が邂逅したのか・・・このブログの続篇を書く機会が訪れてくれれば嬉しいですね・・・
 
※ブログ・タイトルはTHE ALFEEのNHK-FM番組タイトルから。放送時間は毎水曜日午後11時。翌水曜日午前10時から再放送。
 
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春すぎて夏来にけらし・・・

こんにちは、Y館長です。
 
黄金週間も終わって、ここ野上はすっかり初夏モード・・・
 
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記念館の庭では、藤飯治平先生が愛した花々がつぎつぎと自在に色を操って大胆な筆使いを愉しませてくれています。
 
玄関脇の白壁も、キャンバスの如く・・・
 
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藤飯治平先生があちらこちらへと取材旅行に出掛けられていたことは以前にも書かせていただきました。そこで、思いついて、この初夏の頃の旅はと、整理中のスケッチブックの中を探してみました。
 
見つけたのは、表紙に「イラン 76.6月」と書かれた一冊・・・
 
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これらのスケッチと、沢山のネガフィルムが残されていますが、写真の方はまだまだ手つかず状態、いずれまとめてこのホームページでご覧頂けるようにと考えています。
 
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愛用の一眼レフカメラも記念館で展示しています。
 
 
春過ぎて夏来たるらし 白妙の衣ほすてふ 天の香具山 -持統帝ー
 
 
ニュースでは、沖縄地方が梅雨入りとか・・・・
 
まもなく藤飯治平記念館もファーストアニバーサリーを迎えるわけですが、考えていることを形にする機も熟しつつあるとの手応えを感じつつの・・・また来週。


治平さんと月やん・・・南からの便り

こんにちは、Y館長です。
 
学校法人仁川学院が藤飯治平記念館の運営に携わるきっかけに思いを巡らせると、その端緒は藤飯治平夫人であった月美さんの故郷である南紀へとつながります。
 
そこから記念館開設につながる一連の物語は、ひとの縁(えにし)の不思議さを目の当たりにしてくれるのですが、つい昨日のこと、その縁に、また新たな一頁を付け加える嬉しい機会(出来事)がありました。
 
藤飯治平記念館の郵便受けに配達された一通の、少し大振りな封筒・・・
 
Yにはその瞬間、裏を返して差出人を確かめるまでもなく、というより確かめたとしても知らないお名前が書かれているに違いないのです、それでも「誰」から届いた手紙かには、はっきっりとした予感がありました。
 
封を切る手ももどかしく、開けた封筒からこぼれる一枚の写真・・・
 
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つづいて、四枚の便箋に綴られた、藤飯治平夫妻のことや、この写真にまつわるあれこれ・・・
 
写真に写っているのは、若かりし頃、おそらく半世紀前に撮られたであろう藤飯治平夫妻。撮影場所は、今はなくなってしまった宝塚ファミリーランドとか・・・
 
手紙を寄せてくださった主は、月美夫人の母方の故郷である和歌山県串本町に暮らしていて、月美夫人をおばさんと慕う親戚の女性です。
 
先日のことですが、藤飯治平先生の資料のことで、ネット上を検索しているうちに、この女性・・・Y・Sさんのブログと出会いました。
 
そこに綴られた野上四丁目の思い出・・・
 
Yが拙い筆であれこれ書き連ねるより、Y・Sさんの想いあふれる文章をブログから引用させていただこうと思います。
 
 
宝塚市野上通り4丁目
 
大阪梅田から 阪急電車に乗って 西宮北口で乗り換え
逆瀬川という駅で降りて 坂道をどんどん上って行くと
おばさんの家があった。
夏休みになると 妹と二人で電車に乗って遊びに行った。
記憶では 小学校5年生頃から中学3年までは 毎年
一週間から十日位滞在していた。
楽しみは 勿論「宝塚歌劇」である。その頃は「那智わたる」
「上月のぼる」が スターだった。
歌劇は その5年間は熱心に見たけれど 高校生になって
クラブ活動が忙しくなってからは 遠のいてしまった。
 
田舎娘にとって、夏休みの宝塚での生活は カルチャーショックの
連続だったような気がする。
おじさんは 絵描きさんだったので いつもアトリエで絵を描いていた。
生活は 洋風でハイカラだった。
おばさんは 父の従姉妹で、私は親戚の中で宝塚のおばさんが一番
好きだった。自分の意見をはっきりと言い、真っ直ぐ立って揺るがない
人だ、と思った。いつも わたしの憧れだった。
 
大人になって 色んなことに遭遇すると おばさんならどうするだろう
と思った。私は いくじなしで失敗ばかりしていた。
逢いたい、と思いながら 逢えない日々が続いて とうとう逢えないまま
一昨年、おばさんは亡くなった。おじさんも後を追うように昨年亡くなった。
もう 野上通り4丁目のあの家には 誰もいない。
それでも いつかまた坂道を歩いて上って 訪ねてみたいと思っている。
懐かしいおばさんのことを思いながら 歩いてみたい。 
 
 
以上が2007年7月28日とスタンプされたブログ記事・・・
 
Yは夢中でコメント欄に、「あなたの懐かしい野上通り四丁目のあの家」は今もあなたが訪れてくれる日を待ってますよ、というようなことを書き残したのですが、ただ、ブログの最新記事(今年の4月4日に書かれたもの)によれば、その日を最後にブログを閉じるのだと書かれていました。
 
なんとかこのコメントを読んで欲しいと祈る気持ちでいたところに届いた手紙だったのです。
 
お手紙を読んでわかったのですが、実は別の機会(他のご親戚の元へプチフォルムから届いた藤飯治平展の案内)を通じて藤飯治平記念館のことを知っておられたそうで、このホームページもご覧になっていてくださったとのこと・・・
 
お手紙には、藤飯夫妻への真情と記念館の開館をこころから喜んでくださるお気持ちが溢れていて、Yも何故かしら旧知の懐かしい方からの手紙を読むこころもちで、感動とともに読ませていただきました。
 
Y・Sさん、ほんとにありがとうございました。
 
いつの日か、ぜひ、懐かしい坂道を上って「この家」を訪ねてくださることを願っています。いえ、いつの日かなどと云わず、その機会が少しで早く訪れてくれることを願っています。そして、「治平さんと月やん」のたくさんのことを聴かせてください・・・
 
 
こういう出会いというか縁、いやぁ、館長冥利に尽きますね。これからも様々な藤飯治平を取り巻く方々との頁が増えますように・・・
 
 
さて、来週はもう黄金週間の真っ只中! ここ野上ではカレンダー通りのスケジュール(4/27、4/29、5/3~5/6は休館)で皆さんをお待ちしています。
 
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では、また黄金週間明けにお目にかかりましょう。よいときをお過ごしください。
 
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ひとの縁とは

こんにちは、Y館長です。
 
ここ野上にも春爛漫の香気が満ち満ちています。記念館の庭もたくさんの草花がとりどりの色に咲き誇っています。
 
入学式ウイークが過ぎれば、もうすぐそこに黄金週間が・・・
 
さて、以前にも藤飯治平先生の蔵書をご紹介したことがありましたが、今日の一冊も、先生の寝室の書棚に残されたもの・・・
 
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西宮市甲東園に住んだ寺島紫明画伯の伝記です。
 
昭和五十年に亡くなるのですが、甲東園に居を構えた晩年、多くの舞妓姿を描かれた日本画家で、鏑木清方の門人。
 
と書き始めて、そうそう、今回はお約束がありましたね。
 
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この記念館下足箱にまつわるお話・・・
 
この下足箱は、長年、仁川学院で美術科教員として幼稚園から高等学校まで多くの子どもたちにアートのこころを伝えてくれたO職員の労作です。
 
あるときは教員として子どもたちの手を取り、あるときは職員として学院の様々な営繕業務にも携わってくれました。10年前、定年を迎えた後も嘱託として学院の運営に献身的に協力をしていただいたのですが、この春、サクラの花吹雪舞い散るなかを不慮の病で急逝されました。
 
昨年の秋に出来上がってきたこの下足箱が、あるいはO職員最後の「仕事」であったかもと、ここしばらくは見るたびに、痩身長髪のダンディな姿を思い起こさずにはおられません・・・・
 
学院教職員であると同時に、宝塚美術協会を始めとする芸術家団体に所属するアーティスト(彫刻家)でもありました。
 
学院内には、云わば学院の「座付作家」として制作した、聖フランシスコの「太陽の賛歌」にインスパイアされた作品群(御影石彫刻)を残してくれました。
 
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また、学院敷地の隅っこには、焼却炉を自身で工夫改造した陶器の焼成窯(甲窯と銘あり)を作って広く陶芸を通じた教育活動やときには保護者の親睦にまで貢献してくださいました。
 
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中学校のこんなものもその作品のひとつ・・・
 
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さて、ここで、もう一度冒頭の寺島紫明の伝記・・・
 
何気に裏表紙をめくってみると、菊判本の真ん中に「藤飯」ではない蔵書印が押されています。
 
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どうも「大垣蔵書」と読めます。
 
?と訝りながらページを繰ると、二つ折りにされた便箋が一枚、こぼれました。
 
何かしらと読み進むと、冒頭の藤飯兄に続けて、「いつも圭介がお世話になって有難う」の文字・・・
 
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そう、手紙は本を贈る挨拶の体裁ですが、その行間には子を想う親の心情が溢れています。
 
これをお読みいただいている大方の皆さんにはもうお解りでしょうか?この手紙の主は大垣泰生さんとおっしゃって藤飯治平先生と同じ画家をされていた方・・・
 
そして、文中「圭介」と呼ばれているのが、そう、誰あろうO職員こと大垣圭介先生そのひとのことでありました。
 
当時、まだ仁川学院に在籍されていた藤飯治平先生に、同じく仁川学院に在職していたO職員を頼むの一言・・・泣かせますね・・・
 
私信ではありますが、それぞれが天国に召されたいまはお許しを頂けるのではと、ご紹介をさせていただきました。
 
まことにひとの縁とは味なもの・・・かな
 
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記念館では展示替えも完了しました。またひと味ちがう「藤飯治平」をご鑑賞ください。
 
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※ 寺島紫明の伝記
  「孤高の美人画家 寺島紫明」瀬川與志 著 株式会社白川書院 発行(昭和51年2月21日初版)


入学シーズン

こんにちは、Y館長です。
 
今週は仁川学院の入学式ウイーク。
 
月曜日は仁川学院高等学校、火曜日は仁川学院中学校、水曜日は仁川学院小学校、そして今日木曜日は仁川学院マリアの園幼稚園・・・
 
全体で凡そ500人の新入生を迎え、学校内には力強い春の息吹きが満ち満ちています。
 
新高校生、新中学生は早速、最初の宿泊行事である新入生オリエンテーリングの最中でしょうか、新しい友と出会い、新しい学びの戸を叩き・・・胸いっぱいの希望を持って帰ってくれればいいですね。
 
 
さて例によって例のごとく、またまたYのわたくしごとですが、この春、ふたりの孫が小学校に入学しました。
 
練馬区大泉学園で暮らす息子の次男と、同じく東京は谷中(谷根千と呼ばれる下町の一角)で暮らす娘の長女。
 
この日曜日に上京して、皆で食事を一緒にお祝いをしてきたのですが、翌日、記念館の代休をいただき、孫娘の入学式に参列してきました。
 
ふたり同時は無理なので、今回は足場の都合もあって孫娘となったのですが、上野公園不忍池の真向かいにあるそれは、総勢300人に満たない小さな小学校でした。
 
上野動物園まで校門から3分。山内の東京芸大、美術館、博物館、文化会館が遊び場!運動場の裏は東京大学、三四郎池まで5分!おまけに隣は本人が生まれた東大病院・・・・
 
如何なYの血筋を引くとも、この環境ですから、これは将来期待できる・・・・なんてことはないかな? いやいや、ここは孫の若いちからを信じましょう!
 
と、爺馬鹿のお噂で失礼いたしました。
 
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その校門脇のサクラと、式終了後の記念撮影風景。
 
 
ところで肝心の藤飯治平記念館では、春の展示替えの準備が進んでいます。
 
準備というほどの大掛かりなことはないのですが、今回は10号や6号といった作品を中心にご覧いただこうとあれこれ考えながら準備中です。
初めての方はもちろん、再訪いただいた皆さんにも楽しんでいただけることとおもいますので、春の行楽のつもりでぜひ足を運んでいただければ嬉しいですね。
 
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では、新しい藤飯治平先生の作品がひとりでも多くの方々と出逢えることを祈りつつ、また来週。
 
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ここでちょっとだけ、来週の予告・・・
 
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ご来館いただいた皆さんはお解りでしょうか? そう、藤飯治平記念館玄関の下足箱ですが、次回はこのお話・・・


満開・・・・開花便り-承前-

こんにちは、Y館長です。
 
いよいよ四月、新年度を迎えました。
 
もちろんカレンダー上は1日からそれはそうなのですが、学校の新年度は、やっぱり新入生の緊張した面持ちや終業式から数日を経ぬ間にもいっそう成長した在校生の面差しを迎えて、はじめて始まる気がします。
 
さてここ野上にも着実に春の足音・・・・
今朝は、記念館を取り巻く石垣の割れ目に小さな蜥蜴の姿を見、いままた、これを書きつつふと眺める庭先にこの春はじめてのモンシロチョウ♪♪♪

 
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前回、開花をお伝えした校地内のサクラ、今朝はこんな塩梅にいまを盛りと咲き誇るかな・・・
 
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前回はまだつぼみだけだった園庭のサクラもまことに愛らしく咲いていました。
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朝の日差しに輝く薄桜色の花々は、希望を満々と孕んだ未来への明るい予兆に観る者の期待を膨らませてくれますが、さて、夜も更けた頃合いともなると今度は一転、どこまでも狂おしく人の奥深くに巣食う情念を掻き立てる・・・
 
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これは、Yの住まいからほど近い東横堀川の堰近くの夜桜風景・・・
 
昨夜は冷たい風もなく常ならぬ情動に急かされるように足を運んでみました。
 
古(いにしえ)の歌人がそこに両腕を拡げいまにも掴みかからぬばかりの「モノノケ」の姿を見たサクラはこうでもあったでしょうか・・・
 
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あくがるる心はさても山桜 ちりなむ後や身にかへるべき
風さそふ花の行方は知らねども 惜しむ心は身にとまりけり
花見ればそのいはれとはなけれども 心のうちぞ苦しかりける
春ごとの花に心をなぐさめて 六十路あまりの年を経にける
 
我れに西行の詩才なく、ただ己が貧才を恥じるばかりですが、六十路を経れば、たとい西行ほどの感慨はなくとも、また如何な凡庸なるYでさえも哀感を忍ぶ時節に出会うもの・・・かな
 
そうそう、こんな句もありましたね。
 
さまざまの こと思ひ出す 桜かな   芭蕉
 
 
あれっ? 新年度早々からちょっと思わぬ方へと向かう筆の運び、さてや「満開の桜」に棲む「物の怪」の為せるワザ・・・・かなっ?
 
次回は校庭に響く子どもらの息吹を感じながらお目にかかりましょう、ということでまた来週!
 
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開花便り

こんにちは、Y館長です。
 
野上は今日も雨・・・・と三週続けて書き出すのが憚られて(?)昨日の更新を躊躇し本日の更新となりました・・・
 
昨日の雨は上がりましたが、空は鈍色の花曇り・・・吹き渡る風はしっかり春の衣を纏っているようです。
 
 

ここは花曇りにかけて、しばし「桜、さくら、サクラ」のおうわさでも・・・・
 

今朝の学院敷地内の「桜」あれこれ・・・
 
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中高側中庭の真ん中にあって、行き交う生徒たちを見守る大木。
 
 
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小学校側通学路南門そばで、登校する児童生徒を迎え、見送る優しい木立。
 
 
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仁川教会マリア館前で、登園する園児や保護者に微笑みかける花びら。
 
このところの暖かな雨で一気に開花が進んだようで、うーん、入学式まではどうでしょうか?
 
マリアの園幼稚園の園庭脇にも可愛らしい若木があるのですが、こちらは今朝はまだしっかり眠ってるようで、それでも目覚めはすぐそこでしょう。
 
 
Yなどは、若い頃にはサクラを能天気に「好きな花」と言い切ることにどこかしら抵抗があって、あの気持は何だったでしょうか。
 
散り際儚いとされるイメージとか、あるいは「桜の木の下には屍体が埋まっている」と云う基次郎や、「桜の森の満開の下」に妖しい鬼女を見た安吾、或いは能の西行桜のものがたりを意識してのことだったのか・・・まぁ、若気の気取りというかつっぱりと云うかそんなところが真相だったかも。
 
それでも、この歳になると虚心坦懐に美しいと感じ、その美しさに重ねあわせて「ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ」を衒いなく口誦する心もちにも・・・
 
 
ところで、藤飯治平先生が記念館に残された作品中にサクラを見つけることはできませんでした。庭の木々にもサクラはありません。いつの日にか、ふとしたことで先生のサクラ観に出会う機会があれば愉しいだろうと思いつつ、また来週!
 
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こちらは本日の付録! Yの住まいの近く、中之島は大川端、大阪市中央公会堂前の「今朝のサクラ」です・・・
 
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迎える春

こんにちは、Y館長です。
 
野上は今日も雨・・・・
 
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学校では終業式も終わり、迎える春への準備も本格化しています。
 
公立高等学校合格発表後の併願手続きを経て、平成26年度の新入生も、今頃は決定していることでしょう。
 
 
新学期が終わる頃には、藤飯治平記念館もファースト・アニバーサリーを迎えます。
 
いよいよこれまでに考えていることなどを形にする作業にかからねばなりません。
 
 
朝の通勤途上でも、フレッシャーたちが、大きいスーツケースを引きながら一団となってビジネス街を行き交う姿を目にします。新生活への慄きが、いっときでも早く、自信に変わればいいですね。
 
夜は夜で、送別会の流れでしょうか、ビジネスバッグの隅から零れる数輪の花束を供とした人が、交差点の角で或いは地下鉄への降り口で、見送る人たちと名残を惜しんでいる姿があちこちで見受けられます・・・・
 
皆、それぞれの生活のなかで、何かが始まる予感に包まれる春。
 
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いつもながらの私事でありますが、Yの孫のうち、ふたりがこの春小学校へ上がります。
 
 
生きとし生けるもの皆が、嬉しい気持ちになる春であればいいなぁ・・・
 
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春間近

こんにちは、Y館長です。
 
奈良東大寺の修二会も佳境のお水取り(お松明=おたいまつ)が始まり、春もすぐそこにの感が日々に深まります。
 
今日は、ここ野上も本降りの雨模様・・・
 
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くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨の降る 子規
 
 

先の高等学校に続き、今週は仁川学院の卒業ウイーク。
 
月曜日の仁川学院小学校、今日は生憎の雨ですが、仁川学院マリアの園幼稚園の卒園式。そして明日は仁川学院中学校・・・
 
送る春、様々な想いや感慨の交差点・・・願わくはすべての子らに幸多かれと祈りつつ、そしていざ、迎える春へ。
 
 
昨日は、神戸市灘区のとある施設へとおじゃまをさせていただきました。
 
用向きは、藤飯治平先生の回顧展開催に向けた第一歩・・・
 
遠くない時期に、その内容をお伝えできると思うのですが、2016年秋に、藤飯治平先生の画業の全貌をご紹介できる展覧会の開催を予定しています。
 
2016年は、藤飯治平先生の没後10年を過ぎ、学校法人仁川学院も創立60周年の節目を迎える年に当たります。
多くの皆さまに藤飯治平先生の真髄をお伝えできる催しにしたいと志は高く掲げておりますので楽しみにお待ちください。
また、その準備にあたっては藤飯治平先生に所縁(ゆかり)の多くの方々にご協力をいただくことと思いますが、その節は是非よろしくお願いします。
 
ところで藤飯治平記念館には、先生の蔵書も多く残されています。
 
先日、そんな先生の蔵書から、こんな本を手に取りました。
 
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ルネサンスのフィレンツェで、ときのトスカーナ大公メディチ家のコジモ一世に仕えた宮廷画家ポントルモが残した自筆の日記です。
 
この日記、たとえば政治や美術や、世相のあれこれを伝えようとする意志は皆無で、ただただ、ひたすら毎日の食事の内容と周囲の人へのつぶやきにも似た愚痴とか、まあ、そんなことだけを綴った、元祖ツイッターのようなもの・・・
 
少し前に(いや、もうずいぶん前かな?)話題になった「武士の家計簿」のイタリア版とでもいいましょうか・・・ちょっと違うか?な
 
それでもこれが無類に面白くて、中に頻繁に登場する料理があるのですが、名づけて「卵の魚」・・・
 
魚の卵、であればたらこやいくら、数の子キャビアにからすみといくらでも思い浮かびますが、こちらは「卵の魚」。
 
 
これなんやと思えば、オムレツのこと。
 
いやぁ、云われてみれば、あの流線型の菱型(?)って、まさにお魚の形ですよね。
 
16世紀のフィレンツェでは、このオムレツが三日に一度は食卓を賑わせていたようです。
 
で? いえ、この話はこれだけのことで・・・また来週!
 
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もも草の萌えいづる庭のかたはらの松の木陰に菜の花咲きぬ 子規
 
 
けど、この菜の花、「卵の魚」の付け合せに美味そう・・・
 
※短歌はいずれも子規の「庭前即景」十首から


異国情緒

こんにちは、Y館長です。
 
早くも3月の声を聞きました。
 
先週の金曜日は、仁川学院高等学校第50期生209名が卒業式に臨みました。
 
前日の雨模様から一転しての晴々とした日差しのなかで、多くの祝福を浴びながらそれぞれが目指すつぎのステージへと力強い一歩を踏み出したことと思います。
 
そんな巣立つ子らのひとりひとりに、仁川学院教職員が抱く想い・・・
 
 
◯◯△△を先生と呼ぶ子らがいて仁川学院高等学校
 
 
なんて、パクリで失礼しました!
 
本歌は、一世を風靡したので、ご存じの方も多いでしょうね、
 
 
万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校
 
 
そう、俵万智『サラダ記念日』の一首でした・・・
 
余談ですが、Yの出身高校も橋本高校。神奈川県立ではなく和歌山県立ですが・・・
 
 
先週の木曜日と土曜日、遠来(なんと中東から!!)のお客様を奈良・京都へとご案内する機会がありました。
 
あいにく両日とも雨模様でしたが、そぼ降る古都の趣きは、生粋のアラブの民にもなにがしかの感興を感じていただけたのではないでしょうか。
 
奈良は、斑鳩の法隆寺から東大寺、春日大社、京都では東寺、金閣寺、龍安寺、嵐山・・・
 
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ご案内できる時間に限りがあることとて隔靴掻痒の感は否めないのですが、それでも法隆寺では五重塔、金堂と巡っていただき、中宮寺では例の、アルカイックスマイルの典型とされる半跏思惟像(お寺では如意輪観世音菩薩と伝えているようですが、研究サイドの定説では時代から観て弥勒菩薩であろうと)とも、ゆっくり対面する時間が取れたことは、Yにも嬉しい事でした。
 
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京都の金閣寺や、龍安寺石庭は、Yにはひょっとして小学校の修学旅行以来ではなかったかいなぁ・・・と穴があったら入りたい心境を抱えながら、おのぼりさんで一緒に楽しませていただきました。
 
 
藤飯治平先生も、中東へはたびたび取材旅行で訪れたようです。
 
そのときの成果が、「バベルの塔」や「ソドムの町」、「大洪水」といった大作に結実したものでしょう。
 
その旅のいくらか(或いは全部かも)には奥様の月見さんも同行されたことでしょう。
 
藤飯治平先生とご結婚された後の月見さんは、画家として描く筆は折られたとお聞きしていますが(小さい子どもたちに教えてはおられました)、これはそんな月見さんが描き記念館に残された貴重な絵画・・・
 
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アラブの女性でしょうか、エキゾチックな中にも凛とした眼差しに強い意志が表現された素晴らしい作品だと思います。
 
「人物画は月見さんのほうがお上手やね」・・・そんな囁きが何処からか聞こえてくるような・・・・いえいえ、決してYが言ってるわけではありませんよ、ただ、そんな噂もちらほら・・・あれっ、天国で藤飯治平せんせ、くしゃみしてるかな?
 
 
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