先生のブログ

父親(オヤジ)!

今年の夏、父親の13回忌を行った。私も父親18年生となり「こんな時、オヤジならどうするやろう?」と思うこともしばしばである。父親は、昭和11年生まれで鹿児島県指宿市で生まれ育った。終戦時は小学3年生で、当時のことを小学生だった姉や私によく話をしてくれた。さつまいもの「つる」までたべたこと、白米などめったに口に入らず卵は贅沢品であったこと等々。

指宿に帰省したときなどは、蝉取りなどいっしょに遊んでくれたことを思い出す。ある日、「探検」と称して防空壕の中に2人で入った時のことである。奥の方まで進んで周りが暗くなってきたとき、あろうことか父親は私を残し、全速力で出口へ駆け出したのである。恐怖で思うように走れず、やっとの思いで出口にたどり着いた私は、半泣きであった。それを見た父親は大笑いしながら「情けないの~!」と言い放ったのである。その時、私は「なんちゅう親や!」と思ったことを今でも忘れない。それともう一つ。指宿で海水浴をしていた時、「浮き輪つけろ。ちょっと遠くまで行こう!」と言われ何の疑いもなく父親について行った。しばらく泳いでいくと(当然足はつかない)、またしても父親は私の浮き輪をうばい、ひとりで泳いで帰ってしまったのである。私は無我夢中で泳ぎ、なんとか岸にたどり着いた。父親は「これでお前も泳げるようになるやろ!」とでも思ったのだろう。かくして、水泳が大の苦手な私が誕生したのである。

そんな父親も癌を患い余命宣告を受けたとき、私に言った言葉が忘れられない。「延命処置はいらん。危篤の知らせがあっても、お前は来んでええ。お前は将来のある生徒を預かっとるんやから、今から死ぬワシのために時間を使わんでええ。そのかわり、葬式はお前が仕切れ!」私は「オヤジらしいなぁ」と思った。それから12年以上が経つ。あの世でオヤジは私の子育てを見てどう思っているだろう?「もっとバチバチいかんかい!」と思っているだろうか?イヤイヤ、孫には優しいじっちゃんだった。もし、私が同じことをすれば「アホか!」と鉄拳制裁を受けそうだ。(笑) お彼岸から1ヶ月近く経つ。そろそろお墓参りにでも行こうかな。「オヤジがブログの主人公になったで」と報告をしに……!  (慶)

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