先生のブログ

2017年

年越し

 

今年も、あと3日となりました。月の始まりを「朔日(ついたち)」といい、月の終わりを「晦日(みそか)」、一年の終わりを「大晦日」と言います。大晦日は、一年の決算や新年への準備を整える日だそうです。大晦日の夜、全国各地の寺院では除夜の鐘がつかれ、人間が持っているといわれる百八つの煩悩を除夜の鐘で一つ一つ払い落としていくという風習があります。また、年越しそばを食べて、家運長久を願い、新年につなぐという習慣もあります。

今年一年、色々なことがありました。悪いことは、出来ればあと三日で整理して(忘れて)、新しい年を迎えたいものです。(孝)

「鏡の法則」

 

  現在TVドラマでも扱われているが、池井戸潤の作品は個人的に好きだ。恐らく、今の時代にはそぐわない「観」も多々あるのだろうが、「昭和」という時代の中で育ち、その「観」の中で成長した私にとっては、「共感」というより「安心感」を覚える部分が多いからだと思う。原作を知りつつも、つい見てしまうドラマの方では、いよいよ結末に向かって動き出そうとしているが、松岡修造の曾祖父は、宝塚歌劇団の創設者である小林一三であり、宝塚歌劇団の舞台裏には、ある張り紙が貼られていることが有名である。

  言葉表現は悪いかもしれないが、『ブスの25箇条』は私自身も時折、目にするように心がけている。「愚痴をこぼす」、「責任転嫁がうまい」、「自分が最も正しいと信じている」、「他人に嫉妬する」、「謙虚さがなく傲慢である」、「いつも周囲が悪いと思っている」、「他人につくさない」、「問題意識を持てない」、「自分がブスであることを知らない」、「人生において仕事において意欲がない」……。目にする度に、25箇条の全てが自身の心に突き刺さる…。今年もあと20日余り…。「自分の人生に起こる問題の原因は、すべて自分自身の中にある。」という「鏡の法則」を忘れることなく過ごしたく思う。             

                                                                    (裕)

最近の心配事

先日、保育園に通う6歳の息子に、「最近保育園どう?」と聞いたところ、しばらく黙ってから「意地悪してくる男の子がいる」と言った。詳しく聞いてみると、トイレに並んでいるときに後ろから蹴られたり、座ろうとしたときにイスを引かれて転かされたりするようだ。しかも頻繁に。以前からその話は聞いており先生にも相談していたのだが、内容が深刻化していたため、再度担任の先生にその男の子に注意をしていただくようにお願いをした。繰り返しいじめを受けると自尊心を失ったり自己肯定感が下がってしまうので、周囲は必ずやめさせないといけない。早期発見が絶対だと思う。最近はおちついて保育園での生活を送れているということだが、やはり園内での大人の目が少ないことが気になった。どこの保育園でも人員不足は大きな課題のようだ。最近保育士の給料についての記事をよく見るが、保育士の待遇が今後改善され、さらに子供たちが安心して過ごせる環境になることを強く望む今日この頃である。(紗)

 

期末考査1週間前

今日から考査1週間前です。考査範囲や考査日程(高1,高3のみ)も発表されました。

今は、考査に向けて精一杯学習に取り組んでいることでしょう。

しかし、考査前だけでなく,普段から授業に対してもさらに真摯に取り組んでもらいたいと思います。

努力を継続することが大切です。小さな積み重ねが、大きな成果となって表れるのです。

テスト返却時に自分自身が納得できるように頑張ってください。(本)

 

 

追悼ミサを終えて

先ほど、追悼ミサを終えた。このミサで、いつも、自らを振り返る

小さい時間の大切さを実感している。

先週の今頃は修学旅行中で島原半島をバスで移動中だった。

大宰府の政庁跡で過した昼食時は、少々暑かったが、今日は肌寒い。

秋は確実に深まっている。

突然、二年前に高校を卒業したОBが現状報告に現れた。

その内の一人は、留学することを報告してくれた。その眼には

「キラリ光る自信の欠片」が見えたように思えた。

慌しかった一日は終わりそうだが、

来年の今日はきっともっといい日になっている。

(進)

授業参観日

昨日は授業参観日でした。

授業開始前に、生徒から一言。

「自分達も頑張るから、先生も一緒に頑張ろう。」

「いつも通りの姿を見せたらいいよ。」

何とも、微笑ましく頼もしいコメント。

 

教育とは、「可能性」を引き出し伸ばすこと。

 

ほどよい緊張感の中で、懸命に学ぶ姿に、

『星の王子様』が重なりました。

 

(かんじんなことは目に見えないんだよ。)

 

(悦)

 

 

雨の日の出来事

体験したこともないような大きな台風21号が近畿地方を襲った日、所要があって朝から半日を梅田で過ごすことになった。公共交通機関が止まるかもしれないということで、急きょ私が身内を車で送り届け、予定が終わったらまた車で帰るという運転手役を買って出たのだ。

予定時間より少し早く梅田に到着。下調べしていた比較的安価な駐車場に車を止め、目的地まですこしだけ歩いた。再会場所と時間を確認し同行人と別れた。

特に目的なく2時間ほど地下街を歩いていた時、ふとあることに気が付いた。かばんには自分の傘しか入っていなかったのだ。すでに雨脚は強まっていた。駐車場へは外へ出なければならず、やむを得ず地下街を歩きながら見つけていたコンビニへビニール傘を買いに行った。そこでちょっとした「不意打ち」にあったのだ。

学生風のアルバイト店員に、傘をすぐ使う旨をつたえ、タグをはさみで切ってもらったあとの一言だ。

「大事にお使いくださいね」

客に向けた言葉として適切かどうか別として、若者の、マニュアルではなかろう自然体のその言葉に、思わずハッとなる。

とっさに口に出た言葉が

「ありがとう」

幸いビニールは強まる風にも耐え、同行者ともども無事に駐車場までたどり着くことができた。

傘は最も多い忘れ物だと聞く。無意識のうちに消耗品扱いされていたようだ。自分の所有物として愛着を持てるかどうかは個人次第。小銭で買える傘も、ブランドの傘も大切に使わねば。

身の回り「モノ」のこと…考えてみては? (幸)

空を見上げる

最近は昼夜の寒暖差が大きくなってきて、冬が近づいてきているのを感じます。富士山ではすでに初冠雪もあったようです。

私は季節のなかでも冬が好きです。その理由には、寒さで体がシャキッとする感覚、しんしんと降る雪(関西ではなかなか見る機会がないですが)などさまざまありますが、その1つに星が観測しやすいことがあります。小学校の頃から天体に興味があり、冬休みの自由研究で冬の大三角形やオリオン座といった冬の星座について調べたこともあります。冬は空気が乾燥しているので大気中のちりが少なく、星の観測には適していると言われています。しかし、住宅密集地では夜間でも灯りが多いため、最近ではなかなか夜空を見上げる機会が減っていました。

昨年の夏に、帰省とペルセウス座流星群が地球に最接近するタイミングがちょうど重なり、実家の近くの灯りの少ない小高い丘まで登って、天体観測をしました。横になって夜空を見上げると、数えきれないほど多くの星がはっきりと、さらに時折流れ星も見え、童心にかえって何時間も夜空を見続けました。

はるか遠くで瞬いている星をずっと眺めていると、日常のちょっとしたことや、自分の悩みのちっぽけさを感じさせられて、気分が清々しくなります。来月11月には、しし座流星群が地球に最接近します。ぜひ、気分転換に夜空を見上げてみて下さい。 

                                                       (美)

 

礼儀と恥

 「礼儀正しくあれ」。これは人として当たり前のことである。礼儀はその人の人格に対する尊敬の念から生まれるものだから、外見のみのものは、実質が伴わない虚礼であって、先方をあなどるようなものである。また、自分の利益のために尽くす礼はへつらいであり、財産の前にひざまずくようなものである。

 「恥を知れ」という叱責の常套句がある。江戸時代後期の大名、津軽信明がこんなことを言っている。「人は誰も恥を知らなければならない。恥を知らなければ忠義も孝行もないであろう。行動の基準はこの恥を知ることから始まる。そうであるなら恥じるべきもののひとつは、それぞれがその家に伝わる家業を忘れることだ。これは大きな恥である。例えば、出家しても仏の道を知らず、医者が薬を知らないのも恥のひとつである。自分が為すことがあるのに、しないでいるのはなおさら恥である」。今は恥よりも損得、金儲けか。しかし、古くさいかもしれないが、これは真理だと思う。(政)

1度きりの人生、「生きる」とは…?

先日、部屋の片付けをしていると古いアルバムが目に留まり、思わず手に取りページを開いてみると、なんとそこには10代20代の頃の懐かしい写真がありました。自分が生まれて半世紀以上経ったことを改めて実感。平均寿命が延び、人生85年時代を迎えようとしている今、折り返し地点を既に過ぎているのです。そう思ったとき、「生きる」ということについて、私なりに少し考えてみました。

日常生活において、たいていの人は「変化」を嫌い、「安定=幸福」と考えがちだと思います。そう言う私自身も、これまで安定志向型で生きてきた人のひとりです。しかし、「生きる」ということは、そもそも不安定なものであり、いかに連続する変化に適応していけるかということだと感じるようになりました。変化といっても良いことばかりではありません。今まで順調にいっていたことが上手くいかなくなる。人間関係や身体の異変。世の中には自分の力ではどうすることもできないことが沢山あります。それならば、たとえ平凡な日常であったとしても何事にも心から感謝し、喜び、変化を楽しむことが大切であると思えるようになりました。自分の心の持ちようで、精神的に楽になり、価値観も変わるものだと気づきました。究極、「生きる」ではなく、「生かされている」ということなのかもしれません。

「生きる」ということは、時として悩み、苦しみ、傷つくことでもあるけれど、それは、決して無駄なことではなく、人間としての魅力をそなえ、その後の成長へと導くものだと信じたいと思います。私は自分が悩んだり、心が折れそうになった時、以前に読んだ「ある本」を思い出します。そこには、おおよそ次のようなことが書かれていました。「真珠貝はそのままでは真珠という実を結べない。外部から異物をもって貝の膜に傷をつける。傷ついた貝は、自らその傷を癒すために特殊な粘液を出す。その癒しの業が美しく輝く真珠となる。」というような内容でした。これまでの人生を振り返ったとき、一つひとつのできごとが多くの意味をもつものであり、痛みを痛みとしながらも、これからは小さくてもいいから、自分の心の中に美しい真珠をつくって生きていきたいと思います。                  (起)

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