校長先生のブログ

(聖書)体は一つでも・・・

人々

体は一つでも、多くの部分から成っている。(体は)一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶ。(コリントへの第一の手紙121226節)

 

この聖書は分かり易いと思います。人間関係でも特に学校や会社で考える時、いろんなことが見えてくると思うのです。

さて、自分の筋肉に呼びかける芸人さんがいます。筋肉を擬人化しながら笑いを取る訳です。ただこれとはちょっと違いますが、感覚的に「体が喜ぶ」という体験があります。沖縄・宮古島で教会の仕事をしていた2004年春、トライアスロンに挑戦することを決意し、自分が一番苦手な3kmのスイムの練習に、島に一つしかない温水プールへ通った時のことです。最初は絶望的な位泳げないのです。今まで一回も真面目に泳ぎに取り組まなかった人間です。たった25m泳ぐだけでプールの壁で立ち上がり休憩をしなければならない程息が上がるのです。そして、その絶望的な状況が1ヵ月(約10回)位続いたある日、ターンして連続で50m泳ぐことができるようになりました。でも、それでもまだまだ絶望的な状況であることは間違いなく、また足踏み状態が2週間位続き・・・・・と、50mから75mになり100mと距離は伸びますが亀のような鈍さなのです。なかなか距離が伸びないもどかしさと焦りで「これは無理や、もう辞めるか・・・」と、何度もこの言葉が心を巡りました。しかし、そんなある時、自分でも気付かない瞬間から急に連続で泳げる距離が伸び始めるのです。気付いたら300m、500m、1000mと・・・・・。

それは後から分かることなのですが、泳ぎ始めた頃は体(皮膚)が水に馴染んでいないので、水の中に体を沈めること自体がストレスなのです。そんな状態ですから気持ちよく泳げるはずがありません。しかし、何度もプールに通い水に浸っている内に、いつの間にか「皮膚が水に馴染んでいた」のです。生物の起源は海と言われており、また私たちは、母の胎内に10ヵ月もの間浸っていた訳です。「その感覚が蘇ったかのような!」とでも言えるような感覚でしょうか。水中に沈むことに恐怖感も無くなってくるのです。自分の泳ぎが上手ではなくても、「泳ぐ喜び」を感じている、皮膚が水に馴染んでいると感じている時、「体が喜んでいる」ことを実感しました。

2005年春のトライアスロンは無事完走しました。この体験で人間の体が持つ可能性を改めて知ることができたことは、自分の人生観を大きく変えました。聖書のメッセージからは少し離れたかと思いますが、小っちゃな挑戦から始まる物語をお話ししました。

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