野上日記

2014年2月

もうひとつの画業

こんにちは、Y館長です。
 
痛快、感激、感動、無念、残念、驚愕、喝采、呆然、涙、笑い・・・そんな数々のエピソードに彩られたソチ五輪も無事に閉会しましたね。テロの脅威も心配されましたが無事に終えられたことは幸いでした。
 
毎朝眠い目をこすっていた五輪フリークには、寂しいやらほっとしたやらというところでしょうか・・・
 
 
さて、これをお読みいただいている皆さんは、「船場」(せんば)という大阪の地域名をご存知でしょうか?
 
大阪商人(あきんど)活躍の中心地として多くの小説(たとえば谷崎潤一郎の細雪や春琴抄)や映画、TVドラマの舞台となっているので、大方の皆さんにとって一度は耳にされたことがあるでしょうか・・・
 
もともとは東西を東横堀川と西横堀川、南北を長堀川と土佐堀川という、周囲四方を川(堀)で囲まれた地域でしたが、現在は西横堀川と長堀川は既に埋め立てられ、それぞれが四ツ橋筋東の阪神高速の高架下と長堀通となっています。
幸いにも東横堀川と土佐堀川は現在も淀川からの水を湛え、水都大阪の往年の面影や風情の片鱗を今に伝えてくれています。
 
そんな「船場」の町のひとつに「道修町」と呼ばれる町があります。読み方は「どしょうまち」・・・
 
御堂筋を中心に据えれば、船場の北端である淀屋橋から今橋、高麗橋、伏見町、道修町と続きます。現在の地下鉄になぞらえれば淀屋橋駅と本町駅の真ん中くらいでしょうか・・・
 
その道修町通は、江戸時代から続く我が国唯一の「薬種問屋の町」で、現在も錚々たる製薬メーカーの多くが本社やオフィスを置いています。
 
私事ですが、Yには住まいも近く、初詣は道修町通の真ん中にある神農さん(少彦名神社、境内入口には春琴抄の碑もあります))にお詣りするのをここ数年の慣らいとしています。
 
先週の一日、その道修町に、我が国を代表する製薬メーカーのひとつである塩野義製薬の本社を訪問させていただきました。
 
シオノギと聞いてYが真っ先に思い浮かべるのは、ザ・ピーナッツの歌う“歌おう踊ろう今夜はみんなのラララミュージックフェアー”というテーマ曲で始まる歌番組。司会は長門裕之・南田洋子夫妻・・・いつものことながら、ふるぅ~!
 
あっ、旧(ふる)いのはYだけで、番組は変わらずシオノギ提供で司会者の世代交代を重ねながらいまも続く人気番組ですからね・・・
 
そうそう、CMでは仲代達矢の「明日のために今日も飲むポポンS」や「頭痛歯痛に、はいセデス!」というのもありましたね。
 
 
その塩野義製薬さんが1991年に社屋を建て替えられた折に、取り壊される旧社屋の絵画の制作をギャラリープチフォルムのA社長を通じて藤飯治平先生に依頼されたのでした。
 
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その絵画は、現在、塩野義製薬本社に大切に展示(一般公開ではありません)されており、このたびお願いをして拝見させていただくことができました。
 
30号と思しき油彩画が二枚。
 
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描かれたその凛とした建物の佇まいに、その建物が刻んできた歴史や藤飯治平先生が建物との対話を通じて絵筆に込めたであろう思いが充ちていました。
 
新社屋の同じ階の一角には、この絵に描かれた旧社屋の玄関エントランスの扉やステンドグラスといった設えがそのまま移築されており、会社の、道修町の盟主としての誇りを強く感じとることができました。
道修町に限らず、それぞれの町のそれぞれの商人魂の矜持が、いまの大阪と云わず日本を支えているのだとの思いを拡げることのできるひとときでもありました。
 
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ところでこの右側の絵にはユニークなことがあって、こちらは玄関エントランスの内側から道修町通を眺めた構図となっているのですが、ガラスの向こうにはシオノギのお向かいさんである、これも我が国を代表するT製薬の本社が描かれていると思われるのですが、その建物が瓦屋根のいかにも船場の商家風!に描かれています。
 
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藤飯先生が取材された90年代にはあり得ない光景で、描く際に、先生が想像の羽を伸ばされたものでしょうか、或いは施主さんとのコミュニケーションの中で思いつかれたのかも・・・
 
 
いやぁ、絵画ってほんとぉに面白いですねぇ、それではまた来週!
 
 

※今回の訪問でお世話になった塩野義製薬総務部のH課長と、ご紹介の労をお取りいただいたギャラリープチフォルムA社長に感謝申し上げます。ありがとうございました。
 
※道修町通には、明治期に建てられ、船場商家の典型として重要文化財に指定された「小西家住宅」があります。谷崎が春琴抄の舞台としたとも云われます。内部は非公開ですが、外観は外から眺められます。道修町通と堺筋(道修町三丁目交差点)が交わる北東角です。
 
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ソチ五輪雑感

こんにちは、Y館長です。
 
今朝、通勤の途上、阪急梅田駅前の交差点で新聞の号外が配られていました。
 
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Yも出掛けに朝のニュースで知ったのですが、フィギュア男子の羽生選手が金メダルに輝いたとのこと。
 
これで、日本のメダルは四つ目(ですよね?)、そのうち三つは十代の若人によってもたらされたもの・・・
 
試合後の感想にも各選手それぞれの個性と若い感性が溢れていると同時に、五輪という目標が自分の人生にどのように関わりそこから何を得、そしてつぎの目標にどのようにつなげていくのか、そこからは借り物ではない自分の意志を明確に持っている姿が浮き彫りにされていて、TVで観ているYにも頼もしく爽やかに感じることができました。
 
もちろん彼らは仁川学院の生徒ではないのですが、同世代の教育にいささかでも関わっている身には“励まされる”こと多かりき・・五輪かな・・・
 
 
冷たい日が続いていますが、ここ野上では昨日の雪もすっかり解けて、それでも空はどんより冬曇り、ときおり突風が庭の木々を震わせています。
 
 
今回の五輪はロシアのソチで行われているのですが、藤飯治平先生は‘67のパリ留学時代に旧ソ連へも取材旅行をされています。
 
まだ全部の整理が終わっていないのですが目についた‘67年9月の年号が記された写生帖。
 
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内にはおもにオーストリア、スイスでの風景が鉛筆でスケッチされているのですが、残念ながらロシアの風景を見つけることはできませんでした。
 
そのかわり、写生帖の裏表紙には「さなえちゃん」ではなく、こんなイタズラ書き様の書き込みが・・・
 
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ロシア語でサインの練習・・・かなっ?

 
ソチ五輪といえばもうひとつ。
 
数日前の休日、TVで五輪中継を眺めていました。
 
競技は女子アルペンのスーパー複合。残念ながら日本からのエントリー選手はいないので、TV的にはさして評判になる競技でもなかったのでしょうが、その放送を観ていてビックリ・・・
 
何がって、「ありゃ、ユーミンが解説してる!」
 
と錯覚するぐらい、解説を担当されている方(あとで調べると川端絵美さんとおっしゃるそうです)の声質といい口調といい、間といい、間投詞感嘆詞形容詞の使い方に至るまで、ほんま、往年のユーミンのDJを彷彿とさせるのです。
 
二十年近く前、ちょっと理由があって土曜日の遅い昼下がりに車を運転することが多く、そのときに流れてくるのがユーミンのDJ番組・・・
 
ファンというような入れ込んだ聴き手ではなく(Yはユーミン派というよりはみゆき派で・・)ただカーラジオから流れる声を聞き流していたに過ぎないのですが、それでもユーミンの声には聴いているだけでどこかこころの琴線を癒やされるというかほぐされるというか、そんな感じがして、ついついダイヤルを合わせてしまうんですね。
 

そんな時代のユーミンが蘇ってきたようで、いやぁ、びっくりして、その後女子滑降でも解説をされていて、その理知的な内容も心地よく、競技ではなく解説を聞くために五輪中継を見るという新しい経験を樂しんでいます。
 
実は今日の午後も女子スーパー大回転が川端さんの解説で放送される予定と知ったので、しっかり録画予約をして出勤するYでありました・・・
 
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節分が終わり五輪が終わると、もう雛祭り。別れと出会いの春もすぐそこです。
 
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旅・・・ジャーニー・・・

こんにちは、Y館長です。
 
今週頭に、藤飯治平先生が長く所属されていた宝塚ロータリークラブの例会にお招きいただき、仁川学院藤飯治平記念館開館に至る経緯をお話させていただくとともに今後のご鞭撻をお願いさせていただくことができました。
会員の皆さまにはたいへんご親切に迎えていただき、これからの記念館運営に向けて大いに励まされました。会長様はじめお世話くださったすべての皆さまに感謝申し上げます。
 
 
さて、今日未明というか昨日深夜というか、冬季五輪のソチ大会も開幕しましたが、いやぁ、今朝は冷たい!
 
ここ野上でも、屋根屋根の連なりにはうっすらと雪化粧が・・・
 
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大学入試もたけなわですが、受験生には、新しい「旅立ち」の、その一歩の大切な節目のとき、大過なく終えることを祈っています。
 
それにしても「旅」っていい言葉ですね。
 
旅・・・旅行・・・
 
こう並べてみるとそれぞれにニュアンスは違うようで、旅行に比べて旅のほうはもっと茫漠として、なにやらこちらのほうがミステリアスで深い・・・そんな気がします。
 
西欧の言葉では、トラベルが旅行で、旅はジャーニーでしょうか。
 
グレート・ジャーニーなんぞという壮大なイメージには、もう先見えたYでさえ、ちょっとは心ときめかすことができます・・・
 
藤飯治平先生も、多くの旅をされました。
 
画家としての道程そのものが「大いなる旅」だったことでしょう。
 
また、毎年のごとくに重ねられた多くの取材旅行も、目的地を主語に据えれば「旅行」=「トラベル」でしょうが、それぞれを先生の人生のマイルストーンと考えれば、連綿と続くグレート・ジャニーの一部・・・
 
記念館には、そんな先生の「旅」の証しが大切に残されています。
 
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そう、写生帖、スケッチブックです。
 
これをぜひ多くの方々に観ていただきたいものと整理を進めているのですが、さてどんな方法が相応しいのか、経年で傷みが激しかったり、鉛筆、パステル、水彩が混在していることも厄介で、もう少しお時間をいただいてと考えています。
 
そんなことに思いを巡らせながら、思いつきでこんなものを作ってみました。
 
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先生の写生帖のミニチュア!
 
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もう一冊
 
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なかなかの出来栄えと自画自賛をしながら、記念館グッズとして売れるかなぁ、なぞと取らぬ何とかの皮算用・・・さて、えぇ算盤が弾けますかどうか。
 
というところでまた来週!