校長先生のブログ

2015年

クリスマスの喜び

2学期最終週を迎えました。今週は、クリスマスを豊かに味わう聖劇やクラスでのクリスマス会が行われます。児童たちは、この一週間をどのような気持ちで迎えるのでしょうか?

 時代は発展による変化によって進んでいます。様々な分野からものが作られ、よりコンパクト化された技術進化したものが私たちの生活を支えています。便利さは快適さを生み、生活の充実を感じて生活を送っています。そんな日常生活のなかで迎えるクリスマスを前に、クリスマスの意味を探って見ましょう。

聖書において、クリスマス(主の御降誕)に触れている箇所があります。

「主の天使が夢に現れて言った。『ダビデの子ヨセフ、怖れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。』 このことが起こったのは、主が預言者をとおして言われていたことが実現するためであった。『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である」。(マタイ福音書1章20節~23節)

本来、神の命との繋がりによって存在する人間は、神と共にいる存在でした。がしかし、人間の神に対する罪によって共にいる状態の破綻が生じ、神と離れた状態で生きる事になりました。この状態は、人間本来の神の似姿としての尊厳や輝きを失なわせ、更には、神不在の混沌とした世界において見出される価値を追い求める事になりました。

神と共にいるという人間の本来の姿と、共にいるとことで生じる真の幸せを人間が得るために、神は働かれます。その働きの始まりが、私たちと同じ姿を取るという受肉(クリスマス)によってイエス・キリストが私たちの世界に現れるということです。このイエスが、ご自分の命をかけて神から離れた人間を再び神のもとへ呼び戻す道(人間の罪を購う)を示してくださいました。

神が私たち人間と共にいるための具体的な救いの業の始まりであるクリスマスに、大いなる喜びを持ちましょう。そして、今もなお神が共にいるために働かれている事への感謝と、その感謝をこの世界で共にいる家族や友人たち、更には、兄弟姉妹であるすべての人にも向けていきましょう。生活の満たしから得られる喜び留まるのではなく、自分の奥底から湧き起こる喜びを味わえるのではないでしょうか! 共にいる事によって得ている何よりも大事な存在を一層大切にする気持ちを持って、これからも過ごして参りましょう。

クリスマスの喜びのうちに、一年の終わりを無事に迎えられますように。そして、新しい年が恵みに満ちた一年でありますことを祈って、2015年の最後のメッセージとします。

ニュースな出来事

児童たちが送る2学期も、来週末までとなりました。そして、2015年(未年)も3週間と残りわずかな日数となりました。年の終わりが近づくと、その一年を愛おしむように思い巡らしてしまうのは、私だけでしょうか?ある人は、その一年の振り返りを「10大ニュース」と銘打って、自分にとって貴重な出来事や出会いを記録します。

 児童たちにとっても、この一年でニュースとしてあげる事が数多くあったことでしょう。これら一つ一つは、確かな成長の糧になっていることは間違いありません。経験値が増えることによって、より一層の積極的探求が行われるはずです。探求姿勢は学びの連続を生み、自身の人格の形成にも寄与できる働きとなることでしょう。

残り少ない2015年の日々においても、自分にとって更なる高みへと導く重大なニュースがありますように。

待降節を迎えて

 12月に入ると、クリスマスの雰囲気が一気に高まってきます。クリスマスツリーやイルミネーション、お店のウインドウにはサンタクロースなど心が弾む装飾がなされています。今週から小学校のエントランスにも馬小屋が飾られ、救い主イエス・キリストの御降誕の祝いを迎える待降節を過ごします。

「『見よ、おとめが身ごもって男の子を生むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれる』と。この名は『神は私たちとともにおいでになる』という意味である」(マタイ1:22~23)。

神さまが人間の姿で生まれるという驚きの出来事が、このクリスマスです。何故に全能で永遠で無限な神が、イエス・キリストとして人間となったのか。これは、神さまがこの世界を受け入れたと言うことです。私たちともっとも深い所での出会い、つまり、神さまの愛と十字架上で命を捧げるイエスの愛によって私たちと交わることによって、創造主である神のもとへ私たちが帰るよう招かれたのです。

 誰かがともにいてくれることで、私たちはどんなに支えられていることでしょう。まして、神さまがともに居続けくださるとすれば…。楽しくすごすイベントとしてだけではなく、神の救いの始まりとしてある救い主イエス・キリストの誕生を喜び、イエス様との出会いを愛によって深めることが出来る一人となるよう歩む決意の時のクリスマスとして過ごして参りましょう。

確かな歩みへ

すべてのことを知り得ることも、また理解できることも不可能であることは承知しているものです。しかし、知らないでいることに対して本当に残念だと思わされることがあります。それは、しばしば知ることによって得られる感動を味わった時に沸いてきます。

 自然の計り知れない神秘を目にしたときの感動は、知ること見ることが出来たから生じるだけでなく、その世界に自分が共にいるということからも生じるものです。私たちは他の存在をとおして自分の存在の尊厳を深めて行くことが出来るのです。

 今よりも知ることが出来る私たちですから、知ることをとおして普遍の真理へと近づく過程を人生とするなら、今この時の意義深さを感じ歩んでいくことが出来るのでしょう。

感謝月間を迎えて

 

「すべての事や周りの人に対して、感謝と喜びの心」を育むために感謝月間とする11月は、クラスごとに決められた感謝月間に因んだ目標を心に留めて過ごすようにしています。

 

 先日、5年生の男子たちが私の所までやって来ました。その経緯は、学校グランドの片隅で育てていたお米の収穫があり、その収穫の中から二束にした稲穂を神さまに捧げたいということでした。

 

育てる大変さを経験した児童たちは、その実りを獲得することで、収穫の喜びや自然の恵みへの感謝、更には食することにおいてもこれまで以上に有り難さを持ったことでしょう。

 

 目では確認出来ない他者への愛や献身的な思いによって生じるものがたくさんあります。身の回りにある存在するものをとおして、その愛や献身的な思いに近づける感性を少しでも深めることが出来たら、「和と善」が溢れ出てくるのではないかと思います。

 

残りの11月に日々が、感謝と喜びの心の育みの機会となりますように。

 

情熱

 

後期児童会役員選挙の結果が、月曜日のお昼時間中に発表されました。新三役に選ばれた児童たちの熱い思いがいよいよ動き出します。

 

選挙当日は、三役(会長、副会長二名、書記二名)への立候補者一六名が、自分の応援演説者と共に与えられた演説時間二分間に、自分の思いの丈を語ってくれました。実現したい思いを真剣に語る候補者たちは、情熱の人と化した者に見えます。

 

真剣に訴えかける情熱の姿は、聞く者を引きつけ賛同者へと変えていきます。同時に、何かが動き出す期待感も生み出してくれます。

 

何かのため誰かのためにと進んで言葉と行いを伴った情熱を持って、様々な機会において他者との繋がりを深め広げられた者の一人となれるよう学校生活での時間を大切に過ごしてほしいものです。

 

挑戦

 

祝日を過ごした児童たちは、様々な表情で挨拶を向けてくれます。児童の中には挨拶だけでなく、ちょっとした報告してくれる子もいます。ある児童は、近づきながら「頭を怪我した」と、その場所を私に示しながら近づいて来ました。痛そうな傷を確認しながら、「どうしたの?」と尋ねると、お母さんと昨日の祝日に鉄棒の練習をしたとのこと。

 

頑張りの傷と見たので、「頑張ったね」と声をかけると、本人も納得顔。

 

 できるようにする努力は、その過程の中で出来ない現実を受け入れると同時に、出来るという強い思いから生まれものです。成功体験をもたらす失敗体験をしっかりと受け入れ、これからも挑戦する姿勢を持ち続けて進んで行ってほしいものです。

 

お祈り

 全校児童による清掃活動の水曜日以外は、お昼休み時間はグロッタを開けています。グロッタは、イエス様を膝の上に抱くマリア様の御像を見つめてお祈りが出来る空間です。

 いつものどおりお昼休みの時間にグロッタを開けていますと、2名ずつの計3組の児童たちが別々に祈りにやって来ました。後期児童会役員選挙の書記に立候補手続きをしたばかりの2名の児童は、互いがライバルとなる存在にもかかわらず一緒にグロッタにやってきて、全力を尽くして選挙活動が出来るよう一緒に祈りました。一年生の2人は、亡くなったペットのわんちゃんのため、最後の1組は自分の心にうちに留めていることのために祈りました。

 祈りの姿は、児童たちが共にいてくださる神さまを意識し信頼している姿ともいえます。そして、祈りの交わりは、神さまの心との合流によって神の愛に近づく時でもあります。

呼吸のように、祈りをとおして児童一人ひとりがその生において愛に生きる者となれますように。

喜びの体験を力に

この秋は、スポーツをとおして沢山の感動をいただきました。ラグビーワールドカップでの日本代表チームの活躍とその活躍を生んだ世界一と言い切る練習は、多くの人の心を捉えて離さなかったと言えます。

さて、世界クラスではなくても、小学校の運動会も多くの感動を与えてくれました。今回の大運動会は六十回を数える記念大会として、展示物や競技にも趣向を凝らしました。そんな中でも、やはり児童たち自身の成長が発揮される競技は、感動を与えてくれます。一人ひとりの表情や取り組む姿勢は、当日までの完成度を高めていく努力を重ねてきた者として表れて来る態度ですから、一層の感動が沸いてきます。

見る者に与える事が出来る感動は、演じる者の溢れんばかりに感じている頑張りの表現だからこそと思います。挑戦することでの苦労や辛さは、本人の力と自信へと変わりました。このことを実体験した児童たちが、これからの学びに対してもこの姿勢を常に保ちながら一層の成長を獲得して行って欲しいものです。

楽しみな一日に

 近頃、新しい一日を日頃の繰り返しの一日として何気なく迎えています。イベント的な楽しみな事がある日はごく自然に待ち遠しい一日として迎えるのですが、やはり普段は何気なく一日を迎え一日を終えてしまいがちです。

小学校時代を振り返って見ると、個人的な問題や悩みはあっても、学校へは何か楽しいことが発見できる場所として出かけていたような気がします。

児童たちの姿を見ていると、その日に楽しいことに出会える期待感をもっているような感を受けます。新たな発想や体験的な喜びや友情などなど、児童たちが心底から欲するものが味わえる新しい一日として捉えているのでしょう。

児童たちの姿をとおして、今日一日楽しみな一日、何か発見できる一日として過ごしてみようと思いました。

カテゴリー

アーカイブ

ページトップへ戻る
仁川学院 〒662-0812 兵庫県西宮市甲東園2丁目13番9号
Copyright © 2013 NIGAWA GAKUIN All Rights Reserved.

サイトマップ | 個人情報保護方針